東京高等裁判所 昭和51年(ネ)328号・昭52年(ネ)190号
同五二年(ネ)第一九〇号事件附帯被控訴人(以下、控訴人という。)
右代表者理事
福島慎太郎
右訴訟代理人弁護士
大政満
(ほか四名)
昭和五一年(ネ)第三二八号事件被控訴人、
古川寿美子
同五二年(ネ)第一九〇号事件附帯控訴人(以下、被控訴人という。)
右訴訟代理人弁護士
芦田活志
(ほか四名)
右当事者間の昭和五一年(ネ)第三二八号地位保全仮処分申請控訴事件、同五二年(ネ)第一九〇号同附帯控訴事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
本件附帯控訴により当審で拡張した仮処分申請を却下する。
控訴費用は控訴人の負担とし、附帯控訴費用は被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は、昭和五一年(ネ)第三二八号事件につき「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の申請を却下する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、同五二年(ネ)第一九〇号事件につき、附帯控訴により拡張された仮処分申請却下の判決を求め、被控訴代理人は、昭和五一年(ネ)第三二八号事件につき、控訴棄却の判決、同五二年(ネ)第一九〇号事件につき仮処分申請の趣旨を拡張し、「控訴人は被控訴人に対し金三八五万〇、七七二円及び昭和五三年一〇月一日から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一カ月につき金一五万七、〇〇〇円の金員を仮りに支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の主張並びに疎明の関係は、左に付加するほか、原判決事実摘示のとおり(但し、原判決二二枚目裏一〇行目に「採用することがあるが、」とあるのを「採用していたが、」と訂正する。)であるから、これを引用する。
(主張)
一 被控訴代理人
(一) 附帯控訴の理由
1 控訴人は、昭和五〇年度から同五三年度までにおける従業員に対する賃金のベースアップ額を確定し、その支払いをしているが、それによると、被控訴人が毎月支払いを受ける賃金は次のとおりである。
(1) 昭和五〇年四月一日から同五一年三月三一日まで
一カ月金一一万五、〇五〇円
(2) 同五一年四月一日から同五二年三月三一日まで
一カ月金一三万〇、四〇〇円
(3) 同五二年四月一日から同五三年三月三一日まで
一カ月金一四万六、四〇〇円
(4) 同五三年四月一日から同年九月三〇日まで
一カ月金一五万七、〇〇〇円
ところが、控訴人は、被控訴人に対し原判決において仮払いを命じられた一カ月金九万八、七〇〇円との差額合計金一四九万八、八〇〇円を支払わない。
2 昭和五〇年度から同五三年度までの夏季、年末賞与(一時金)については、控訴人と被控訴人の所属する東京医療労働組合(旧東京医療単一労働組合、以下、組合という。)との間において、それぞれの時期に協定が締結され、これに基づいて具体的な支給額が決定された。これらの協定により、被控訴人の受くべき賞与額(調整、皆勤賞、臨時物価手当等を含む。)を計算すると、少くとも次の金額になる。
(1) 昭和五〇年夏季一時金
金二〇万七、六〇〇円
(2) 同年末一時金
金三一万六、三〇〇円
(3) 同五一年夏季一時金
金二四万三、五〇〇円
(4) 同年末一時金
金三六万七、八〇〇円
(5) 同五二年夏季賞与
金二八万二、一八五円
(6) 同年末賞与
金四〇万八、一六二円
(7) 同五三年夏季賞与
金三〇万二、三八五円
3 被控訴人が控訴人病院に通勤するための交通費は、労働の対価の一部としての賃金であるが、被控訴人は、次のものについては、その支払いを受けていない。
(1) 昭和五〇年七月一〇日から同五一年一月九日まで
金一万二、一〇〇円
(2) 同五一年一月一二日から同年二月一一日まで
金二、二四〇円
(3) 同年四月二六日から同年一〇月二五日まで
金三万六、一五〇円
(4) 同年一〇月二六日から同五二年四月二六日まで
金三万六、一五〇円
(5) 同五二年四月二六日から同年一〇月二五日まで
金四万〇、九五〇円
(6) 同年一〇月二六日から同五三年四月二五日まで
金四万六、七九〇円
(7) 同五三年四月二七日から同年一〇月二六日まで
金五万二、一三〇円
なお、被控訴人の昭和五二年四月二六日以降((5)ないし(7))の交通費中、地下鉄日比谷線の分は新宿駅から八丁堀駅までのものであるから、控訴人病院に最も近い築地駅からそれより先の八丁堀駅までの定期券代金二、四七〇円を控除する。
4 よって、被控訴人は、控訴人に対し以上合計金三八五万〇、七七二円及び昭和五三年一〇月一日から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一カ月につき金一五万七、〇〇〇円の金員を仮りに支払うことを求める。
(二) 控訴人の主張する後記事実は、すべてこれを否認する。
原判決添付別紙(二)の「聖ルカ分会ニュース第二六五号」と題するビラ(以下、本件ビラという。)の作成、配付及び昭和四四年一〇月発行の月刊雑誌「現代看護」一〇月号における原判決添付別紙(三)の特別論評(以下、本件論評という。)の投稿は、被控訴人が前記組合の聖路加分会(以下、組合分会という。)の分会長としての立場において、労働組合の情報宣伝活動(情宣活動)としてなしたものであるから、その目的、動機に照らしてみても、またその内容が真実であることなどの点からみても、控訴人の信用、名誉を汚損するものではない。すなわち
1 労働組合の情宣活動は、まず同一企業内の他の労働者に対し、お互の意思を確認し合い、要求を共通にするために行われるが、それは決して企業内部に止るものではなく、同一地域、同一産業、さらには全国の労働者仲間、一般市民に対し、連帯と支援を訴え、使用者の不正、不当を宣伝して世論を有利に展開しようとするものであって、それは団結権保障に根ざした団結行動そのものであり、市民法上の言論の自由の範疇では捉えることのできない労働組合本来の活動である。
2 そして、労働組合の情宣活動は、常に使用者と労働組合の対抗関係の中に行われるものであるから、使用者に対し抵抗的な姿勢でなされ、時には使用者側の労務対策や経営の実情の暴露が行われることは避けられないところであるが、組合活動の目的に照らしそれなりの動機と節度を持ち、その内容が真実である限り、表現に多少の行き過ぎがあったとしても、正当な組合活動としてその責を問うことはできない。
3 しかして、本件ビラは、団体交渉申入書の転載であって、そこに述べられていることは、控訴人病院の医療及び看護に危険があり、そのため病院の経営者である控訴人に改善を申入れたものであって、医療労働者及びその組合として当然の要求である。しかも、本件ビラの内容は一、二の誤記の点を除いて真実に合致しており、その配付方法は院内職員を対象とし、配付場所、部数などの点についても、外部の者に渡らないよう配慮されていたのであるから、これによって控訴人の対外的信用を汚損するという事態は生じない。
4 また、本件論評の投稿は、被控訴人が組合分会長としての立場から分会員大坪久子に対する解雇撤回闘争の正当性を広く一般に宣伝し、この闘いに対する支援を訴えようとするものであって、その内容も、大坪久子の救済命令申立事件あるいは地位保全仮処分事件で組合分会が主張し、かつ被控訴人が証言したところと同内容のものであり、しかも、東京都労働委員会、中央労働委員会の命令においても基本的に認定されているところであるから、かかる事実によって、控訴人の名誉が汚損されることはない。
二 控訴代理人
(一) 被控訴人の主張する(一)、1ないし3の事実を争う。
(二) 控訴人は、被控訴人の本件ビラの作成、配付及び本件論評の投稿によって、その信用及び名誉を著しく汚損されるに至ったが、これを敷衍すると、次のとおりである。
1 控訴人は、医療、看護及びそれらの教育において長い伝統を有し、常に最新の技術、設備、制度をもって、責任あるよい医療及び看護を実施し、医師及び看護婦の教育、訓練の面においても、常に指導的立場にあって、新しい高度の教育、訓練を実施してきたところから、そのような病院としての社会的評価を受けてきたのである。
2 ところが、本件ビラには殊更に事実に反する記載、事実を誇張歪曲して、控訴人病院の分娩室ないし病棟に危険な実態がある旨の記載があり、これによって控訴人病院の医療、看護が危険であるとの印象を与えようとするものであるから、控訴人の信用、名誉が著しく汚損されたことは明らかである。すなわち
(イ) 本件ビラは、「危険な分娩室の一人夜勤!」との見出しを付し、その根拠を被控訴人が八月三〇日の分娩室において経験した深夜勤の実態に求めている。しかし、控訴人病院においては、産科病室、分娩室の収容能力及び医師、看護婦の業務処理能力を勘案し、それに応じて入院予約を受付け、そのうち入院患者数は月間一〇〇ないし一三〇人であって、深夜における分娩件数は通常二件以内、多くとも三件程度であり、しかも、控訴人病院は、分娩室を産科病室から独立した看護単位としてそれぞれ一名宛の看護婦を夜勤させているから、他の一般病院の基準によるならば二人夜勤ということができるばかりでなく、緊急事態発生の場合に備えてオンコール等の応援体勢をとり、医師が分娩介助に当っているから、控訴人病院の分娩室における看護婦の一人夜勤については何んらの危険も存しない。このことは、過去一〇年間看護婦一人夜勤のため、妊婦、胎児の死亡した例が一件も存しなかったことからも、また、被控訴人が本件解雇後二度にわたって控訴人病院に入院し、その分娩室において出産したことによっても明らかである。
(ロ) 本件ビラには、八月三〇日深夜の分娩室の実態について、「非常に忙しい中で何とかやりくりして、結果として事故は起らずに済みましたが、『看護』と云えるようなものではありませんでした。一人夜勤の為に起きたこのような実態について真剣に考え、再びくり返さない」ようにしなければならないと記載され、更に「準夜はスーパーバイザーの桑田さんがされました。Cさんには分娩まで土山さんが付いて下さいました」「分娩室が忙しいことを把握しておられた土山さんはスペシャルナース二人をまわして下さった。」と記載されている。これによれば、当夜一人で勤務していた被控訴人が一人でやりくりしていたように述べていることが明らかである。しかしながら、看護取締桑田春子は準夜終了後午前一時ころまで、看護取締土山幸子は午前一時ころから午前三時二〇分ころまで、取締付看護婦山田鈴江は午前四時四五分ころから、同範重ミサヱは午前五時ころからいずれも午前七時ころまで、それぞれ分娩室において勤務していたから、被控訴人が一人で勤務していたのは、午前三時二〇分ころから同四時四五分ころまでの約一時間二五分位と午前七時ころから同八時までの約一時間のみであって、その間の同四時一二分にあった妊婦Dの分娩は医師の介助によって正常になされているのである。
(ハ) 本件ビラには、午前四時一二分妊婦Dが分娩した「その時、四Bのナースからまもなく経産婦二名が入院して来るというレポートを受けた為、Dさんは分娩後そのままにしてすぐB(Cの誤記)さんの清拭をし、病室に戻すひまなく予備室に一旦戻しました。」と記載されているが、経産婦二名が入院してくるとの連絡があったのは午前三時二〇分ころであり、しかも入院する経産婦の診察もせずに分娩台をあける必要は存しないし、妊婦は通常分娩後二時間分娩台の上で観察を行うこととされていたのであるから、被控訴人が妊婦Cの使用した分娩台をあけ、妊婦Dについて放置せざるを得なかったというのは事実に反するし、妊婦Cの清拭後病室でなく予備室に戻すのは当然の措置であるから、右の記載は事実を誇張している。
(ニ) 被控訴人は、本件ビラにおいて、「分娩室の休憩時間は、五時から六時の間で、分娩室が忙しいことを把握しておられた土山さんは、スペシャルナースを二人まわして下さった為、予備室に戻しておいたAさん、Bさんの帰室、Dさん、Eさんの清拭、帰室及び胎盤計測、記録以外の後片づけは、この方達にして頂け、未消毒分娩は一件も起さずに済み、又分娩件数が多かった割には後片づけもきちんと終りました。しかし、こういう忙しさの中で『休んで来たら?』と言われても休める筈もありません。」と述べ、休憩をとることもできなかったほど忙しかったかのようにいう。しかし取締付看護婦山田鈴江、同範重ミサヱは、午前四時四五分ころないし同五時ころから約二時間の間、被控訴人の残したシーツの洗濯、器機洗い、妊婦の清拭、帰室等分娩室におけるすべての業務を行い、この間被控訴人は専ら記録をつけていたに過ぎないから、休憩時間をとれないほど忙しかったということはできない。
(ホ) 被控訴人は、本件ビラにおいて、「Aさん、Bさんは帰室時間が遅れ、家族との面会に支障を来しました。」と述べているが、元来妊婦について帰室時間というものがあるわけのものではなく、妊婦A及びBの帰室が遅れたため家族との面会に支障を来したとの事実もない。
(ヘ) 被控訴人は、本件ビラにおいて、「Eさん、Fさんは勿論、前に分娩になったAさん達も、忙しくなり始めてからは、児心音のチェックすら一回か二回できただけです。そんな状態ですから、分娩に対する心構え、その他のオリエンテーションなど出来る筈がありません。これが看護と言えるでしょうか。」と述べ、忙しかったために当然行うべき児心音のチェック、オリエンテーション等を行うことができず、看護したといえないような状態であったかのようにいう。しかし、経産婦Eは午前四時三〇分に入院し、その直後伊藤医師及び高橋医師が診察して異常を認めなかったが、既に怒責感が来ていたので直ちに分娩室に移し、午前四時五〇分伊藤医師の介助によって正常に分娩しており、また、妊婦Fは午前四時五〇分に入院し、直ちに伊藤医師の診察を受けたが異常はなく、同五時過ぎ予備室に、同六時二二分分娩室に移され、同六時四一分正常に分娩したが、被控訴人は、同五時以降机に向って記録を作成しており、同六時二〇分及び同六時三〇分に児心音を聞いているに過ぎないし、また、妊婦Aについては、Aが予備室に移ってから屡々児心音を聞いており、午前一時五〇分に看護取締土山幸子が児心音の異常を認めて酸素マスクを使用し、同二時六分通常の分娩がなされていたのであるから、右ビラの記載は事実に反する。
(ト) 被控訴人は、本件ビラにおいて、「A、C、D、Eさんが正常分娩であったこと、最後に分娩になったFさんも骨盤位(さかご)分娩でしたが元気な赤ちゃんだったことは幸いでした。しかし、いつ異常な状態に変化するかも知れないのです。又、この中の誰れかが心音に異常があったり、早期破水で殊に注意を要したり、点滴をしているような人だったら一体どうなったでしょうか。恐ろしくなります。」と述べ、いつ異常な事態が発生するかわからず、また児心音の異常、早期破水、点滴等の異常な事態があれば危機寸前であったかのようにいう。しかし、妊婦は初診以降定期的に診察を受けて入院するものであり、入院以降も、診察しその状態を観察把握すれば、状態の変化を事前に予知することができるし、また、経験的にいっても、看護婦が通常に勤務しておれば、急激に異常な状態に変化して危険に陥るというようなことはない。さらに妊婦Aについては、早期破水があり、その後点滴を続け、児心音が悪くなって酸素マスクを使用したが、正常に分娩しているのである。したがって、本件ビラの右記載は、事実に反し、事実を誇張し、控訴人を誹謗するものである。
(チ) 本件ビラには「その上、当直医を起しても、すぐに来てもらえるとは限らないのです。助産婦の免許も有しない者が、そのような状態の中で、どんな思いで働いているか想像がつくことと思います。」と記載されている。しかし、控訴人病院においては、分娩の介助はすべて医師が行うのであるから、看護婦は分娩が近づいた場合医師を呼べば足りる筈であり、当直医が起きて来なかったため、分娩に間に合わなかったり異常事態に対する処置が手遅れになったということはこれまでになかったし、また、八月三〇日にもなかったのであるから、本件ビラは、殊更に事実を誇張、歪曲するものである。
3 さらに、本件論評は、多くの点にわたって殊更に事実に反する記載をしたり、事実を誇張歪曲しているが、特に控訴人病院の医師及び看護婦の研修制度は欺瞞的なもので、労働条件の劣悪ぶりや医療、看護の無責任ぶりは驚くばかりであるとの点は、控訴人を中傷誹謗し、控訴人の名誉を著しく汚損するものである。すなわち
(イ) 本件論評は、「聖路加国際病院における研修制度の欺瞞性」という見出しで、「控訴人病院の医師及び看護婦の研修制度が、それぞれ安上りの医師雇傭制度及び若くて安い看護婦募集の制度であり、看護婦の場合、研修生の病棟における責任は看護婦と全く同様であって、研修とは病棟で一生懸命働くことであり、国家が認めた看護婦の資格を持ちながら、実質の伴わない研修生という名目のもとに看護婦として認められず、しかも実質的には看護婦としての責任を負わされている。」と述べている。しかしながら、控訴人病院の医師及び看護婦の研修制度は、それぞれ医師及び看護婦の卒後教育のための制度であって、国家によって認められた資格を有する医師、または看護婦であっても、一人前の、あるいは専門科の医師、または看護婦となるには、資格を取得するまでのいわゆる卒前の教育ばかりでなく、資格取得後の、いわゆる卒後教育が必要不可欠であるとの考え方に基づくものであって、臨床教育、すなわち指導者の指導、監督のもとで、研究員である医師または看護婦が、実際に責任をもって自ら患者を診察し、または看護するという最も効果的な方法なのである。したがって、研究員が研修を行う限度において医師または看護婦としての責任を負担し、それぞれの勤務に服するのは当然であり、それが故に研修の効果を期待できるのであるから、単に労働力を提供するのとは、その趣旨を異にするのである。本件論評の右の記載は、事実に反し、控訴人を誹謗するものである。
(ロ) なお、本件論評には、控訴人病院に「実際に働いてみてその労働条件の劣悪さ、医療及び看護に対する無責任ぶりには驚くばかりである。」などの記載が存するが、控訴人は、研究員に対し一定の基準に従って収入を保障しているほか、宿舎、寝具、白衣、食事を支給しているのであるから、労働条件が劣悪である筈がなく、また、医療、看護に対する無責任ぶりといった事実は全く存しない。
(疎明関係)…略
理由
一 控訴人がキリスト教義に則り医療、保健指導及びこれに関係のある教育を行い、併せて国際親善に寄与することを目的として設立された財団法人であって、肩書地(略)において病院を経営するものであること、被控訴人が遅くとも昭和四三年一〇月一日控訴人に看護婦として雇用され、その産婦人科病棟分娩室に勤務していたこと及び被控訴人が組合分会の組合員であって、同四二年七月から同分会書記長、同四三年七月から同分会副分会長、同四四年七月から同分会分会長の役職に就任した事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二 ところで、控訴人が昭和四四年一二月一六日被控訴人に対し引用にかかる原判決事実摘示第四被申請人の抗弁、一記載の理由により、被控訴人を懲戒解雇処分にする旨の意思表示をした事実は、当事者間に争いがなく、(証拠略)によると、右意思表示がなされた当時における控訴人の就業規則第六一条には、「従業員が右の各号の一に該当するときは、懲戒解雇に処する。但し、情状により前条に準ずる懲戒(譴責、または出勤停止処分を指す。)に止めることがある。」と規定し、その第四号において、「本就業規則に定める事項に故意に違反したとき。」と定め、次いでその第七号において、「故意又は重大な過失により病院の信用・名誉を汚損する行為のあったとき。」と定め、さらに同規則第二四条において「従業員は、左の各号を守らなければならない。」と規定し、その第八号において「従業員は、病院構内に於て印刷物の配付、貼紙、掲示、放送、宣伝、演説、集会その他、これに類似する行為をしようとするときは、予め庶務課長に届出て許可を受けなければならない。」と定めている事実を認めることができる。
三 そこで、以下、控訴人の主張する懲戒解雇理由の存否及びその解雇の意思表示の効力について検討する。
(一) 被控訴人が昭和四四年九月三日本件ビラを作成し、これを控訴人病院構内の職員食堂、キャフェテリヤその他の場所に配付し、また、本件論評を投稿し、これを掲載した雑誌が一般書店等において販売されたこと、そして、本件ビラには、「危険な分娩室の一人夜勤―八月三十日の深夜勤の実態より―」という見出しのもとに、引用にかかる原判決事実摘示第四、被申請人の抗弁二、(一)、2のとおり記載されており、また、本件論評には、「聖路加国際病院における研修制度の欺瞞性」という表題のもとに、右抗弁二、(二)、2のとおり記載している事実は、いずれも当事者間に争いがない。
(二) 次に、当事者間に争いのない事実(引用にかかる原判決事実摘示を参照。)に、(証拠略)を総合すると、次の事実が疎明される。
1 控訴人病院における看護婦の勤務体制とその業務内容
(1) 控訴人病院は、早くから医療、看護の面において新しい技術、制度を採用し、その設備の整った点を含めて著名な総合病院であって、昭和四四年当時における診療科目は、内科、小児科、神経科、皮膚科、外科、産婦人科、耳鼻咽喉科、気管食道科、眼科及び歯科に分れ、その病床数は三六九床であった。そして、産婦人科は、産科病室、分娩室、新生児室、婦人科病室に分れており、そのうち産科病室は三二床、新生児室は二八床、分娩室は二室(分娩台二台)、分娩室の予備室が二室(四床)であって、これを担当する医師は、医長一名、幹部医師(医幹)三名、研修医二名及び嘱託医一名の七名であり、看護婦は、産科病室に九名、分娩室に五名、婦人科病室に八名、新生児室に一〇名のほか、パートタイムの看護婦が新生児室に五名、産科病室に二名配置されていた。そして、夜間においては、当直の医師及び研修医各一名(他の科の当直医を含めると、研修医を除いて五名である。)と看護婦五名(分娩室、産科病室及び婦人科病室に各一名、新生児室に二名)が勤務していた。なお、そのほかに、全病棟(合計一五看護単位)を巡視して看護の指導、監督、援助を担当する夜間看護取締一名と、夜間勤務看護婦が休憩する際の交替要員である取締付看護婦二名が配置されていた。
さらに、産婦人科においては、夜間における緊急事態の発生に備えて、電話、インターホン、コールサイン、非常ベルによる連絡方法があり、これによって各看護単位に勤務する看護婦(各階につき二ないし三名、病棟全体で二二名位)相互間で応援できる体制がとられていたほか、前記看護取締において、必要に応じて指導、援助し、他の看護単位からの応援を指示し、さらに病院に隣接した寄宿舎に居住する各科の看護取締を呼び出すことができるようになっていた。これに加えて手術室及び分娩室においては、夜勤看護婦が未熟な場合とか、緊急事態の発生、その他業務の状況から必要ありと認められた場合には、オンコールがつき、病院内の寄宿舎に居住し待機している病棟専属医及び看護婦を何時でも呼び出し勤務させることができるようになっていた。
(2) 当時控訴人病院は、産科病室及び分娩室の収容能力並びに医師及び看護婦の業務処理能力などを勘案して、分娩のための入院は予約制をとっていたが、その入院予約件数は月間一三〇ないし一五〇件位で、そのうち入院分娩件数は月間一〇〇ないし一三〇件位であった。そして、深夜における分娩件数は、一件もない日もあるが、通常二件程度で、最も多い時でも六件位であった。なお、深夜数人の分娩が重なるのは一年数回であるが、従来このような場合には、看護取締とか、他の看護単位からの応援を受けて処理していた。
(3) 控訴人病院においては、分娩の介助は助産婦に委せることなく、直接医師が担当する建前をとり、そのため当宿医は分娩室の近くの部屋に宿直し、妊婦に異常な徴候の存する場合はもちろん、随時妊婦の診察に当っていたので、看護婦の業務は、医師の分娩介助の補助及び妊婦の看護とされていた。
(4) 昭和四四年当時における控訴人病院における看護婦の勤務は、午前八時から午後四時までの日勤、午前一〇時から午後六時までの遅番、午後四時から午前零時までの準夜、午前零時から午前八時までの深夜という変則三交替勤務となっていたが、同年八月当時の分娩室の看護婦は、主任看護婦一名、被控訴人を含めて看護婦三名(被控訴人を除いて、いずれも助産婦の資格を有していた。)と、産科病室から約二カ月交替で応援に来ていた看護婦一名計五名であった。控訴人病院は、永年にわたる経験から、一人の主任看護婦が、数人の看護婦をもって編成する看護チームを指導し、患者全体を把握して責任をもって行き届いた看護をするためには、二〇ないし三〇床が適当であるとし、また、夜間は昼間に比して業務量が減少することなどをも考慮して、一人の夜勤看護婦の担当する病床数は二五床を基準としていた。このようなことから、分娩室における準夜勤務及び深夜勤務の看護婦は一名とされていた。
しかしながら、看護婦の各看護単位間における相互応援は通常看護取締の判断と指示に委ねられ、看護取締の応援もその職務上から支障の存する場合もあり、夜勤看護婦の心理的負担は、必ずしも軽いものではなかった。
(5) 各看護婦の夜勤日数は、昭和四四年当時一カ月一〇ないし一五日、多い人で一七、八日に及び、被控訴人も同年四月が一一日、同年五月が一二日、同年六月が一三日、同年七月が一〇日、同年八月が一二日であった。控訴人病院は、右のような一人夜勤について、前示のとおり、二五床程度の看護単位における夜勤は看護婦一人が適当であること、各看護単位間における応援体制がとられていること及び緊急の場合には看護取締の応援により看護業務を十分に果し得ることなどの理由をあげて、看護婦の一人夜勤に支障はない、としていた。
(6) 控訴人病院における産科勤務看護婦のとるべき妊婦入院時の処置、分娩各期の処置及びその観察事項、分娩室勤務看護婦の業務の内容は、原判決がその理由三、(二)、1、(4)及び(5)に説示するとおり(原判決五三枚目裏一〇行目から同五八枚目表三行目まで。)であるから、右説示を引用する。
2 昭和四四年八月三〇日における分娩室の深夜の状況
(1) 被控訴人は、昭和四四年八月三〇日午前零時から同八時までの間、控訴人病院の産科分娩室の勤務に就いたが、当夜の当直医師は幹部医師伊藤博之と同年四月研修医となった高橋唯郎であり、看護取締は土山幸子、取締付看護婦は山田鈴江及び範重ミサヱの二名であり、右時間帯における分娩室の医師及び看護婦の業務内容並びに分娩等の概略は、原判決添付別紙(四)記載のとおりである。なお、当日オンコールはつけられていなかった。
(2) 前日(二九日)分娩室の準夜勤務であった看護取締桑田春子は、深夜における分娩予定者が多かった(予備室には、すでにA、B、C、Dの妊婦四人が入っていた。)ので、準夜終了後も引き続いて勤務し、翌三〇日午前零時一〇分早期破水の妊婦Aについて肛門診をするとともに児心音を聞き、同零時一五分Aを予備室から分娩室に移し、同零時三〇分妊婦Dの肛門診をし、同一時妊婦Cに便器を使用させ、同一時三分産科病室の看護婦柳田純江に対し予備室にいる妊婦の観察を指示し(しかし、被控訴人は、右看護婦の応援を断った。)、同一時五分妊婦Cの児心音を聞くなどの看護業務に従事したうえ、勤務を終了した。
(3) 当夜の看護取締土山幸子は、同日午前零時三〇分ころ予備室に赴いて妊婦の状況を見聞した後、病棟四階の各看護単位を巡回し、同一時一〇分ころ分娩室に戻ってA、C及びDの児心音を聞き、同一時四〇分ころ点滴注射中のAの児心音が悪くなったので医師の指示により酸素マスクをつけるなどの処置をしてその看護を被控訴人に引き継ぎ、その後C及びDの児心音を聞き、同二時一五分Cを予備室から分娩室に移して看護し、同二時四五分同女の分娩について医師伊藤博之の介助を手伝い、同三時過ぎころDを観察したが、児心音に疑問を抱き医師高橋唯郎の診察を求めて異常のないことを確認し、同三時過ぎころDの状況を被控訴人に告げて分娩室を離れたが、その際さらに経産婦二名が入院する旨の報告を受けたので、取締付看護婦山田鈴江、範重ミサヱの両名に対し、休憩交替が終り次第至急分娩室に行くよう指示した。その後右土山は、四階病棟巡視中の同四時一五分ころ分娩室に至ってDの分娩を確認し、さら 同六時過ぎころ妊婦Fとともに分娩室に入り、児心音を聞き同女の着替えを手伝った。
(4) 被控訴人は、前日(二九日)午後一二時前に出勤したが、そのころ妊婦A、B、C、Dの四名がすでに予備室に入っていたので、準夜勤務の看護取締桑田春子から当夜の妊婦の状況を聞き、鉗子の交換、Dの観察をし、翌三〇日午前零時三〇分ころ右桑田から勤務の引継ぎを受けた。そして、同一時二五分初産婦であるBの陣痛が遠のいたので、Bを産科病室に帰室させてC及びDの観察(Cについては、同一時三〇分肛門診をし怒責開始を認め、Dについては同一時四〇分、同二時に児心音を聞いた。)をし、当直医伊藤博之を呼びに行き、同二時六分伊藤医師によるAの分娩介助の補助をした。その後被控訴人は、経産婦であるDの観察をし、同三時過ぎAの清拭をして予備室に戻し、Dの分娩のための準備と整理をした。そして、同三時五五分Dの肛門診をして同四時ころ同女を分娩室に移し、同四時一二分高橋医師によるDの分娩介助の補助をした。次いで、同四時三〇分ころ経産婦Fが入院してきたが、分娩が急速に進行したため、同四時五〇分未消毒のまま伊藤医師の介助によって分娩がなされたので、被控訴人は、同医師に胎盤娩出時刻の確認を頼んでDを予備室に移し、分娩室の整理をした。その後被控訴人は、D、Eなどの分娩記録の整理をしていたが、同六時四一分高橋医師の介助によってFの骨盤位分娩がなされたのでその補助をした。被控訴人は、同五時三〇分ころ予備室に入ったGに対し同七時五〇分まで四〇分間隔で三回児心音を聞いて観察したが、同八時ころ交替の看護婦に勤務の引継ぎをして当夜の勤務を終了した。なお、被控訴人は、看護取締土山幸子から休憩時間をとるよう勧められたが、これを断った。
(5) 取締付看護婦であった山田鈴江、同範重ミサヱは、看護取締土山幸子の指示に基づき、山田鈴江は同四時四五分ころ、範重ミサヱは同五時ころ、いずれも応援のため分娩室に赴いた。そして、山田鈴江は、同四時五〇分ころFの入院時の内診介助をし、同五時二〇分Fを予備室に移し、同五時四〇分Eを清拭して帰室させ、次いで同六時二二分Fを分娩室に移したうえシーツの交換をした。範重ミサヱは、同五時一〇分ころ被控訴人に依頼されてA及びCを帰室させ、その後予備室のベット作りをし、同六時ころDの清拭、血圧と子宮口の測定をした後Dを帰室させ、同六時二〇分ころ診察室の清掃をした。右山田、範重の両名は、その後器械類の洗滌、乾燥などをして同七時ころ分娩室における勤務を終了した。
(6) 被控訴人の右深夜勤務中の分娩妊婦は五名、要監視妊婦は分娩を終えたものを含めて三名であったが、右分娩はいずれも正常なものであって、特に注意を要する妊婦はいなかった。
3 控訴人病院における看護研究員制度
(1) 昭和二〇年の終戦を契機としてわが国の看護制度が再検討され、同二三年に新しく保健婦助産婦看護婦法が制定された結果、従来の医師の診療補助を主体とし医師に従属していた看護の観念を脱却し、看護婦が主体となって患者の看護に当るという近代的な看護の理念が確立された。そこで、控訴人病院は、このような新しい理念に基づく看護業務を病院での実践を通じて体得させる教育を施し、看護業務の質的向上を図るため、卒後研修として、同二八年から看護研究員制度を開設した。この制度は、全国の看護短期大学、その他高等看護学院など看護婦養成機関を卒業し、国家試験に合格して看護婦の免許を有するもの、すなわち一応基本的知識経験を有するものを対象とし、具体的患者についての症状の把握、看護計画の立案などを臨床経験(ベットサイドティーチング)を通じて体得させるとともに、指導的地位に立つ看護婦の養成を目的とするものであって、従業員である看護婦を対象とし、その質的向上及び業務の円滑な運営を目的とする院内教育とは、その性格を異にするものであった。控訴人病院は、右の制度に基づいて、同四二年度までに聖路加短期大学卒業者を除き、四三〇名の看護婦を看護研究員として採用し、三四〇名の修了者を輩出した。なお、右研修を終了した者は、原則として出身校、出身病院に帰ることとなっていたが、控訴人病院に就職を希望する者については、全員これを看護婦として採用し、院内教育の一環として、さらに一年間、主任看護婦養成課程(ヘッドナースコース)において研修を受けられるものとされていた。しかし、研究員の採用に際し右の趣旨及び研究員の身分については、必ずしも周知徹底されていなかった。
(2) 看護研究員制度においては、研修期間は二年(但し、聖路加短期大学卒業者は一年)とされ、その研修の内容は、各自の志望に基づき配属された各看護単位において内科、外科、小児科等の各専門科別に看護の知識及び技能を専攻修得させるというものであった。そして、その実施については、専任の看護教育主任を置き、看護研修教育委員会において決定された具体的プログラムに従い、各病棟に置かれた教育責任者の指導及び監督のもとに、主任看護婦が直接指導を担当し、組織的に各科の看護手順及び診療介補手順を研修させることとした。
そのため、控訴人病院は、研究員に対し、最初の一カ月間は同化教育を行い、各単位病棟毎に週一回カンファレンスを行い、特殊な看護や看護技能を習得、体験させるため優先的にそのような業務に従事させ、外来診療業務には従事させないなどの取扱いをするほか、各研究員は主任看護婦指導のもとに、症例についての研究発表を一回宛行うことにしていた。
さらに、研究員の給与については、控訴人病院における看護婦と同一体系の中で、高等看護学院または看護短期大学卒業者と同等の給与を支給するほか、宿舎、寝具、白衣、食事なども支給し、研修終了後看護婦として採用した者に対しては、右大学卒業後三年目の者と同等の給与を支給し、かつ、勤続年数も通算しており、他の病院に勤務する看護婦の給与に比し遜色は認められなかった。
(3) しかしながら、研究員は、聖路加短期大学卒業者を除いて控訴人病院の従業員たる地位を与えられず、二年間の研修を終了した後、はじめて看護婦として採用されることになっていたが、右研修期間中、夜勤、準夜勤を含めた病棟での勤務は、控訴人病院における正規の看護婦と異なるところがなく、しかも配属数からみると各病棟勤務看護婦の主要な部分を占めていたので、看護婦としての資格を有しながら控訴人の従業員としての地位を与えられないことに強い不満を抱き、また、研究員は、人員の都合で希望通りの看護単位に配属されるとは限らず、各科における診療介補手順及び看護手順についての説明、同化教育や病棟単位のカンファレンスが不十分であり、看護症例研究発表会が行われないこととか、医師の研究発表会、講演会等への出席ができないことなどについても、不満を抱いていた。
(4) このようなことから、昭和四二年三月研修を終了した研究員は、控訴人病院の病院長に対し、看護研究員を当初から正規の看護婦として募集し正規の職員として採用してほしい、カリキュラムを充実してほしい、との要望書を提出した。ところが、控訴人病院は、同年二月二六日及び同二七日の両日にわたり、研究員を一人宛呼び出し、要望書の趣旨に賛成するかどうか、要望書を提出するに至るまでの会合の回数、右会合の出席者及びその中心となった者の氏名などを詳細にわたって聞き質し、さらに同年三月一日に研究員の代表者を、同月二七日には研究員全員を呼び出した。そのため研究員は、同月一四日右病院長に対し現在のカリキュラムの充実だけで満足するから研究員を個別的に呼び出すような嫌がらせを直ちに中止してほしい旨の要望書を提出した。ところが、控訴人病院は、翌一五日研究員全員に対し研修期間が三月二三日の研修終了と同時に終了することを理由として、同月二五日までに寮から退去するよう通告した。そのため、研究員は、所轄労働基準監督署に訴えてその助言を受けるなどしたが、結局研究員のうち一三名の者は、同月二三日までに退職届を提出して病院を去り、残った三名の研究員が控訴人病院の看護婦として採用されたに止った。しかし、その際控訴人病院は、右採用者に対し身分を明確にするため、前年まで求めなかった採用願を提出させ、さらに昭和四二年四月から二年目の研修に入る研究員及び同年度に採用した研究員に対し、研修期間を一年とする旨の契約書を提出させた。
なお、控訴人病院は、後記のような経過を経て、看護研究員制度の実施につき研究員の理解と協力が得られず、そのため指導者側の指導についての熱意も失われたことや、昭和四三年三月の聖路加看護大学第一回卒業生の受入れを理由として、同年度における研究員の募集を中止し、さらに翌四四年には、看護研究員制度及び主任看護婦養成課程の制度を廃止した。
4 控訴人病院における医師研究員制度(いわゆるレジデント制度)についての当裁判所の認定は、原判決がその理由三、(二)、4において説示する(原判決六九枚目裏六行目から同七一枚目表三行目まで)ところと同一であるから右説示を引用する。
5 組合分会等の組合活動
(1) 被控訴人の所属する組合分会は、昭和三七年ころ当時控訴人病院のリネン課に勤務していた玉広万里子(旧姓松岡)が中心となって結成準備がなされ、同三八年九月結成されて組合に加盟したのであるが、当初は組合分会の存在を明らかにせずに組合活動を続けていた。しかし、右組合分会は、同四二年四月の玉広万里子に対する配転問題などを契機として、同年六月二八日その存在を明らかにしたうえ、右組合とともに控訴人に対し玉広の配転問題についての団体交渉を申し入れ、以来活発な組合運動を展開してきた。被控訴人は、同四一年六月右組合分会に加入し、その後前示役職を経て同四四年七月同分会分会長に就任し、右分会の中心となって組合運動を続けていた。なお、同四二年当時の組合分会員は一〇名位(他に、非公然組合員が一〇ないし二〇名位)であった。
(2) 組合分会は、公然化した直後から、控訴人に対する要求事項、団体交渉の経過などを記載した「聖ルカ分会ニュース」約三〇〇部を発行し、これを同分会の組合員を含む控訴人の従業員に配付しており、控訴人の後記改正就業規則実施後も同様であったが、その配付の方法は、右分会員が昼休みの時間などを利用し、一階の職員食堂、公衆衛生看護室、二階から六階までの各看護婦詰所(一七カ所)、各リネン室(九カ所)、各配膳室(六カ所)のほか、一階から三階までの各外来診療科受付、一階及び七階のキャフェテリア等に、数枚宛を置いて廻るという方法であったため、一般外来患者等も容易にこれを手に入れることができ、本件ビラも患者らの見聞するところとなった。
(3) 他方、控訴人の従業員約六〇〇名のうち約四四〇名の者は、昭和四二年七月医師及び主任看護婦などを中心として、聖路加国際病院互助会(同四六年六月その名称を聖路加国際病院労働組合と変更した。以下、互助会という。)なる労働組合を結成し、控訴人との団体交渉を持つに至った。控訴人は、これより先の同四一年ころから就業規則の改正を検討していたが、漸くその成案を得るに至ったので、同四二年九月一九日互助会にこれを提示して交渉した結果、同年一二月二七日就業規則を改正し、同四三年一月一日からこれを実施したが、その改正点のうち本件に関係ある重要な事項は、従来従業員の見習期間が一年とされていたのを、すべての職種につき試用期間を六カ月と改めたこと、従来臨床専門医のみから徴していた採用調書(願)を、全職種について徴することにしたこと及び従業員が控訴人病院構内において印刷物の配付などをしようとするときは、予め庶務課長に届出て許可を受けなければならないことにした等の点であった。
(4) ところで、組合分会の属する組合の上部団体である日本医療労働組合協議会は、昭和三八年ころから病院の看護婦の夜間勤務は二名の看護婦によることを建前とし、それも一カ月につき六日間に制限するという闘争(その後一カ月につき八日に制限することに変更し、二・八闘争と称するに至った。)を開始し、同年四月右協議会に属する全日本国立医療労働組合から人事院に対し、国立病院に勤務する看護婦等の労働条件についての行政措置を要求した。そして、右組合は、その理由として、看護婦の業務は、患者の生命に直接関係するものであり、かつ、患者の病状等に対応する責任を持たなくてはならないものであるから、精神的緊張度の著しく高い業務であり、従って一看護単位ないし一看護婦の受持患者数には当然に一定の限界があること、また、病院、療養所等の建物の構造もそのことを考慮して設計されているにもかかわらず、現実には人員不足のため、夜勤における一看護単位ないし一看護婦当りの受持患者数を拡大するとともに、建物等の構造を無視した看護単位を定めているが、このような状況のもとでの一人夜勤は、看護婦に対し過当な責任と労働とを強いるばかりでなく、その人権をも無視するものであると主張し、看護婦の夜間勤務は、看護単位四〇床以下につき一組最低二名以上とすることを要求した。これに対して人事院は、厚生省所管の国立東京第一病院ほか二七施設についての実態を調査し、一看護単位の平均収容患者数が五一・七人、平均定床数は五七・九床であり、看護婦の一人夜勤は全体の七一パーセントを占め、一カ月一〇日を越える夜勤日数は全体の二九・七パーセントに達し、平均夜勤日数が一カ月について九・四日であることなどの結果を得た。そこで、人事院は、同四〇年五月二四日右調査結果に基づいて、看護単位の患者数は、当該看護単位における医療の内容、看護婦などを中心とする看護力、患者の病種及び病状、病棟、病室その他の建物の構造など種々の要素によって決定さるべき性質のものであって、単に看護婦の勤務条件のみから規制することは適当でないが、患者数に見合う看護力の充実ないし勤務者の配置については、必要な措置を講ずべきであると認める旨の判定をした。そして、人事院は、二人夜勤の要求に関して、一人夜勤で足りると考えられる看護単位については、特に患者の容態の急変その他の突発事故が発生した場合における処置や連絡を容易ならしめる措置を講ずる必要があるが、その他の看護単位については、一挙に一人夜勤を廃止することは増員、夜勤日数を増加させる等別の問題を生じさせて不適当なので、夜勤日数等その他関連する事項に及ぼす影響を考慮のうえ、計画的に一人夜勤廃止に向って努力すべきである、とした。
(5) そこで、組合分会は、昭和四二年六月以降組合とともに控訴人に対し看護婦を含む職員の増員とともに、準夜勤を含めた夜間勤務は看護婦二人とし、夜間勤務を一カ月につき六日以内に制限すること(その後夜勤日数の制限を一カ月につき八日と改めた。)を要求して団体交渉を重ねていたが、控訴人病院は、従来看護婦の一人夜勤のために危険な状態はなかったし今後もない、現体制は機能的で望ましい、として右要求を拒否していた。他方、控訴人は、看護体制委員会に対し、看護婦二人夜勤の是非を諮問したところ、同委員会は、同四四年七月夜勤の業務内容及び勤務者の心理的負担を考慮して複数夜勤が望ましいが、各看護単位が二五床内外という患者数からみて、必ずしも各セクション二人夜勤とする必要はない、と答申した。
(6) 組合分会は、被控訴人が昭和四三年五月六日に起して問題となった居眠り事件を契機として、同月ころ従来仕事が一段落した後にとっていた休憩時間の問題をとりあげ、特に夜勤中は四五分の休憩時間を確保するよう呼びかけるとともに、同年八月ころから同分会の組合員四名の者をして、思い思いの時間を休憩時間と定めさせ、その間の看護業務を看護取締に任せて休憩をとらせるに至った。その結果、控訴人病院は、夜間の休憩時間の交替要員として内勤看護婦二名を採用し、これが同年一一月ころから夜勤専従者として看護単位に定着するに至ったことは、前説示のとおりである。さらに、組合分会は、同四四年五月末ころ控訴人に対し休憩のための部屋を要求してこれを設置させた。なお、そのころ組合分会は、控訴人に対し看護婦の生理休暇を保障するよう要求するとともに、組合分会の組合員をしてこれをとらせたが、控訴人は、勤務時間の変更をもってこれに対応した。
(7) 組合分会及びその所属する前示組合は、昭和四二年六月ころから一人夜勤の改善方を要求していたが、控訴人は、これに応ぜず、却って同四四年七月三〇日の団体交渉の席上において、控訴人側より「看護婦の一人夜勤でも事故の起るような危険な実態はない。他の病院で二人夜勤の体制をとっていても、控訴人としては、自らが一番良いと考える方法でやって行く。危険な状態があったら具体的に示して貰いたい。」旨の発言があった。そのため、本件ビラの作成、配付がなされるに至ったのであるが、その経緯は、後に説示するとおりである。
6 大坪久子に対する不当労働行為等
(1) 大坪久子は、昭和四二年四月控訴人病院に看護研究員として採用されたものであるが、その採用に際して、控訴人の求めにより研修期間を一年とする旨の契約書を差し入れ、右契約は同四三年四月更新された。ところが、同四四年一月二九日看護教育主任から同四二年四月採用の研究員に対し、同年四月以降引き続いて控訴人病院に勤務を希望する者は、同年二月一〇日までに採用願を提出しなければならないこと及び採用されるためには六カ月の見習期間を経なければならないことが告げられた。これを聞いた右研究員は、同月五日右大坪らを中心として研究員全員の集会を開き、右の問題について討議した結果、採用願の提出は結局不採用者を出すための方便であり、見習期間の存置は控訴人病院の従業員たる研究員の継続勤務と矛盾するものであるとの理由から、採用願の提出を拒否するとともに、控訴人病院に引き続いて勤務を希望する者は団結して同一行動をとること及び同病院長に直訴して研究員の右要望を訴えることとした。そして、同月一〇日右研究員二三名(全員)の者は、二年間看護研究員の名のもとに看護婦としての責任を任され、控訴人から本職員として認められてきたのであるから、採用願の提出には応じられない旨を記載した書面に署名し、これを右病院長に手交した。しかし、控訴人は、就業規則を根拠として、研究員は控訴人病院の従業員ではないとの見解を示し、同病院に勤務を希望する研究員八名の者に対し採用願の提出を求めたので、同月一四日右研究員は互助会及び組合分会に対して協力を求めた結果、互助会の斡旋によって、結局右採用願を提出した。しかしながら、控訴人は、同年三月二九日採用願に研修終了後六カ月の見習期間を付されることは納得できないとの意見書を付して提出し、その後右意見書を撤回しなかった大坪久子及び他の二名の者に対し、病院の看護婦として採用しない旨を通告した。
(2) そこで、大坪久子は、控訴人を相手方として東京都地方労働委員会に対し、控訴人が同人を看護婦として採用しなかったのは不当労働行為であるとして救済を求める旨の申立をしたところ、同委員会は、昭和四六年一二月一五日これを容れて「控訴人は、大坪久子を昭和四四年四月一日にさかのぼり看護婦として採用し、同日以降同人が現に就労するまでの間の賃金相当額を支払え。」との救済命令を発した。そこで、控訴人は、直ちに中央労働委員会に対し右命令につき再審査の申立をしたが、同委員会も、同四七年一二月一三日「控訴人は、東京都医療労働組合及び組合分会との団体交渉を行なう場所について、聖路加国際病院労働組合と差別してはならない。」との命令を付加したうえ、右再審査の申立を棄却した。
なお、大坪久子は、昭和四四年控訴人を相手方として東京地方裁判所に対し、地位保全の仮処分命令の申請をしたが、同四七年七月これを取り下げた。
7 本件ビラの作成、配付及び本件論評の投稿の経緯等については、原判決がその理由三、(二)、7において説示するとおり(原判決七九枚目表三行目から同八〇枚目裏四行目まで。)であるから、右説示を引用する(ただし、原判決七九枚目表九行目の「改善の問題に関する団体交渉」とあるのを、「改善の問題に関し、総婦長、内田副婦長、桑田看護取締ら参加のもとに、団体交渉」と、同八〇枚目表六行目に「その理解を求めるため、」とあるのを、「その理解と組合運動の支持を求めようと考え、これを組合分会に諮って承認を得たうえ、」と、八〇枚目裏四行目に「付したものである。」とあるのを「付したものであるが、被控訴人はこれを認容していた。」と各訂正する。
右認定に反する(証拠略)は、前顕各疎明に照らして措信できず、他に右認定を動かすに足りる疎明は存しない。
(三) そこで、以上に認定した事実に基づき、本件ビラの作成、配付及び本件論評の投稿が控訴人の主張する就業規則の規定に該当するかどうかについて判断する。
1 本件ビラは、「危険な分娩室の一人夜勤/―八月三十日の深夜勤務の実態より―」と題し、次に「聖ルカ分会では一昨日、左記の申し入れ書を提出し、九月六日までに話し合いを開くことを要求しました。」と記載し、昭和四四年九月一日付で控訴人及び総婦長湯本きみに対して申し入れた団体交渉申入書を転写したものであるが、右申入事項中「左記に述べる実態は、八月三十日、午前零時から八時まで(深夜勤)分娩室で勤務した分会員中島(被控訴人の旧姓)寿美子が遭遇した実態です。」と記載し、これを承けて右申入書の文言に続き、「八月三十日午前零時から八時までの分娩室の実態」なる見出しのもとに、当夜における分娩室の実態を具体的に記述し、これに適宜評価を付加したものである。そして、被控訴人は、予め本件ビラを控訴人の庶務課長に届出て許可を受けずに控訴人病院構内において配付したのであるが、その内容は、「同夜の分娩室にはAないしFの六名の妊婦が入室したが、被控訴人の一人夜勤であったため、Cにはその分娩まで看護取締の土山が付添い、休憩時間の午前五時から同六時にかけて取締付看護婦二名が来て妊婦の帰室、清拭、後片付け等をしたほかは、A、C、D、E、Fの分娩を始めその前後の処置一切を被控訴人が行い、休憩時間をとることもできない程多忙であった。そのため、Dは分娩後そのまま放置され、A、Bは帰室時間が遅れて家族との面会に支障を来し、妊婦の児心音のチェック、オリエンテーションも十分できず、当夜における看護は、看護といえるようなものではなかった。妊婦の状態は何時変化するかもわからないのに、当直医を起してもすぐ来て貰えるとは限らないし、四Bのナースに応援を頼むこともできないのであるから、妊婦の中で児心音の異常、早期破水で注意を要し点滴をしている人があったなら、どのような結果になるかわからないので恐しくなる。今の状態は、患者を危険にさらすもので、責任を持てるものではない。」と読みとることができるから、これを表題と関連してみると、控訴人病院の分娩室における実態からみると分娩室における看護婦の一人夜勤は、医療、看護の面において、事故寸前の危険な実態にある、と理解することができる。
控訴人は、被控訴人は本件ビラにおいて殊更に事実に反する記載をしたり、事実を誇張歪曲し、控訴人を中傷、誹謗する旨主張するので、以下、その主張に従って検討することとする。
(イ) 本件ビラ二枚目(疎甲第二三号証の裏)三行目、八行目、一二行目及び一七行目に「B」とあるのは「C」の誤記であることは明らかである。
(ロ) 本件ビラには、八月三〇日の分娩室の実態について、「非常に忙しい中で何とかやりくりして、結果としては事故を起さずに済みましたが、『看護』と云えるようなものではありませんでした。一人夜勤のために起きたこのような実態について真剣に考え、再びくり返さない為」と記載され、その分娩室における実態として、「Cさんには分娩まで土山さんが付いて下さいました」、「休憩時間は五時から六時までの間で、分娩室が忙しいことを把握しておられた土山さんは、スペシャルナース二人をまわして下さった為、予備室に戻しておいたAさん、Cさんの帰室、DさんEさんの清拭及び胎盤計測、記録以外の後片づけはこの方達にして頂け」たと記載されているほか、応援者とその仕事の内容に触れるところがないため、本件ビラを一読すると、当夜の深夜業務は多忙を極め、右の点を除く看護業務は、すべて被控訴人一人で行ったようにとれるが、昭和四四年八月三〇日の分娩室における深夜勤務は被控訴人一人であったけれども、当夜は四人の分娩が予定されていたため、前日の準夜勤であった看護取締桑田春子が同三〇日午前一時五分まで勤務し、深夜勤の看護取締土山幸子が同一時一〇分ころから同三時過ぎころまで被控訴人の勤務を応援してCの分娩介助の補助などに従事し、また、当夜の取締付看護婦山田鈴江が同四時四五分ころ、同範重ミサヱが同五時ころ各分娩室に赴いて同七時まで看護業務に従事したのであるから、被控訴人が深夜勤務中一人であったのは、同一時五分ころから同一時一〇分ころまで、同三時過ぎころから同四時四五分ころまで及び同七時ころから同八時までに過ぎないし、さらにそれ以外の時間における看護業務をすべて一人で処理したものでもないから、単に被控訴人の看護業務のみからした、当夜の看護が「看護」と云えるものではない旨の評価は、事実に即したものということはできない。
(ハ) 本件ビラには、昭和四四年八月三〇日の分娩室における看護婦の一人夜勤が、「患者を危険にさらす状態」であったと記載され、「危険な分娩室の一人夜勤/―八月三十日の深夜勤務の実態より―」との表題が付されている。しかしながら、被控訴人の本件深夜勤務中における分娩は五人、要監視妊婦は二人であって、通常の場合に比し多かったのではあるが、看護取締桑田春子、同土山幸子、取締付看護婦山田鈴江、同範重ミサヱの応援があり、妊婦の分娩介助は近くの部屋にいた当直医によってなされ、被控訴人が一人で勤務していたため多忙であったと思われる午前三時過ぎころから同四時四五分までに分娩した妊婦は一人、要監視妊婦は分娩を終えた者を含めて三人であって、右分娩はいずれも正常なもので特に注意を要する妊婦はいなかったし、また、患者の容態の急変その他の突発事態が発生した場合における連絡措置は講ぜられていたのであるから、被控訴人が、右時間帯における分娩介助の補助、妊婦の観察等のため多忙であり、妊婦に対する十分な看護ができなかったとしても、そのため看護が患者を危険にさらす状態にあったとか、分娩室における看護婦の一人夜勤が危険なものであったということはできない。
(ニ) 本件ビラには、「Dさんは分娩が終ってから何分もそのままの状態で放置されていました。」、「Dさんは分娩後そのままにして……病室に戻すひまなく、予備室に一旦戻しました。」と記載されているが、Dの分娩は午前四時一二分、予備室に移ったのは同四時五〇分ころであって、通常分娩後二時間は分娩室において経過を観察することになっていたから、Dが他の妊婦の分娩に備えて予備室に移されるまで分娩室におかれたからといって、直ちに放置されたということにはならないし、また、経過観察の必要上直ちに病室に戻すこともできないのである。
(ホ) また本件ビラには、「AさんCさんの帰室時間が遅れて家族との面会に支障を来しました。」と記載されているが、Aの分娩が午前二時六分で帰室が同五時一〇分であるから、Aの帰室時間が通常の場合に比べて遅くなったということができるとしても、Cの分娩は同二時四五分で帰室が同五時一〇分であるから、帰室時間が遅れたというほどのものではない。また、A及びCの帰室時間が遅れたため、家族との面会に支障を来したとの事実を認めるに足りる疎明はない。
(ヘ) 本件ビラには、「Eさん、Fさんは勿論、前に分娩なさったAさん達も忙しくなり始めてからは、児心音のチェックも一回か二回できただけです。そんな状態ですから、分娩に対する心構えその他のオリエンテーションなどできるはずがありません。これが看護といえるでせうか。」と記載されているが、Eが入院したのは午前四時三〇分であったが、経産婦である同女の分娩が急速に進行し、同四時五〇分に分娩するに至ったものであり、同四時五〇分ころ入院した経産婦Fも同六時四一分に分娩したのであるから、入院時における診察、その介助行為(剃毛、浣腸等)、その他の処置に要する時間を考えると、児心音を聞く回数が制限され、オリエンテーンョンをする時間がなくなるのは止むを得ないところであって、被控訴人が多忙であったためというのは当らない。また、妊婦Aについては看護取締桑田春子、土山幸子が午前零時一〇分から同一時四〇分までの間三回にわたって児心音を聞いており、児心音が悪くなった同一時四〇分には医師の指示により酸素マスクをつけ、その後特に注意していたのである。したがって、被控訴人らの右措置が看護に値しないものということはできない。
(ト) 本件ビラには、「この中の誰かが心音に異常があったり、早期破水で殊に注意を要したり、点滴をしているような人だったら一体どうなったでせうか。恐しくなります。」と記載されているが、当夜の分娩はいずれも正常なものであって、Aを除き特に注意を要する妊婦はおらず、早期破水で点滴中の妊婦Aに対しては、看護取締土山幸子らにおいて児心音に異常を認めるや、医師の指示により酸素吸入等の措置を講じて特に注意しており、また、Dの児心音に疑問を抱いた右土山幸子は医師を呼んで異常のないことを確め、いずれも無事分娩を終えさせているのであるから、児心音に異常のある妊婦がいたとしても、早期に医師の手当を受け得たであろうことは、推察するに難くない。ところが、右ビラにおいては、当夜の勤務中現実に存した早期破水で点滴酸素吸入を受け特に注意していた妊婦Aを、児心音に異常のある妊婦とともに仮定の問題として提示することによって現実の結果ないし予想される結果と反対に被控訴人の意図する「恐しい」状態を肯認させようとしていることが推認される。
(チ) 本件ビラには、「当直医を起してもすぐ来てもらえるとは限らない。」旨の記載があるが、これを認めるに足りる疎明はない。
2 次に、本件論評は、「聖路加国際病院における研修制度の欺瞞性」と題し、はじめに、研修制度の実体、昭和四二年から同四四年までの研修生の闘い、聖路加病院の看護の現状、大坪さんの闘いの意義の各項目に分け、控訴人病院が実施してきた看護婦及び医師の研修制度の実態、その研修制度に関する研究員ないし組合分会の交渉などを被控訴人の見聞等に基づいて具体的に記述するとともに、被控訴人が右制度に対する欠陥を指摘し、もって大坪久子の闘争の意義等を強調しようとしたものであることは明らかである。そこで、控訴人の主張に従って問題となる点を左に検討する。
(イ) 本件論評は、「聖路加国際病院における研修制度の欺瞞性」と題し、これを受けてその「はじめに」の項の中で、「『看護研究員制度』は若く安い看護婦募集のための制度、『研究医制度』は『安上りの医師雇用制度』そのものといっても過言ではないのが現実です。」、「就職直後から遭遇するひどい現実の前に、ほとんどの人が一年ないし二年で退職してゆくのが現実です。」との記載が存する。控訴人が看護研究員を採用するに当り、看護研究員制度の趣旨、看護研究員の地位を周知徹底させず、他方、看護研究員の勤務、給与等の点においては他の看護婦と異ならなかったため、期間を二年として採用された研究員が、制度の趣旨に思いを致すことなく、控訴人病院に看護婦として採用されたものと考え、研究医も同様であると推認したとしても無理からぬところである。このようなことから、看護研究員制度、研究医制度に疑問を抱くとともに、期待と現実との相違を味い、失望して研修期間中に退職する者があったとしても、被控訴人において、十分な調査も遂げずに、これをもって「聖路加国際病院における研修制度の欺瞞性」と断じたのは早計であり、「ほとんどの人が退職して行くのが現実です。」というのは誇張に過ぎる。
(ロ) さらに、本件論評には、「聖路加病院の看護の現状」の項において、「実際に働いてみてその労働条件の劣悪さ、医療、看護に対する無責任ぶりには驚くばかりです。」と記載されているが、控訴人病院の従業員の労働条件が劣悪であるということはできないし、控訴人病院の医療、看護が驚くほどの無責任ぶりであるとの事実を認めるに足りる疎明は全く存しない。
3 以上説示したとおり、被控訴人は予め届出て許可を受けずに本件ビラを控訴人病院構内に配付したのであるから、被控訴人の右行為は、故意に基づいたものと認めるのが相当である。
また、本件ビラ及び本件論評には、前示のとおり不十分、不正確な記載及び事実にそぐわない記載が存し、被控訴人において殊更に事実を歪曲したものとは認められないとしても、これらに基づく評価の点においては、誇張、中傷、誹謗にわたる不穏当な表現もあって公正な評価と認められない点のあることは明らかである。
ところで、キリスト教義に則り医療、保健指導及びこれに関する教育などを目的とする控訴人が、被控訴人の本件ビラの作成、配付及び本件論評の投稿によって、その分娩室において実施してきた看護婦の一人夜勤が事故寸前の危険な状態にあるとか、控訴人病院における医師及び看護婦の研修制度は欺瞞的なものであって、従業員の労働条件は劣悪であり、医療、看護は驚くほどの無責任ぶりであるなどと、事実に反することを記載され、不公正な評価を受け、そのことを患者その他の第三者に喧伝されたことは、それが控訴人病院の実情をもっともよく知っていると思われる看護婦の一人、すなわち被控訴人の手になるだけに、読者をしてその信用、名誉につき否定的な判断を抱かせたであろうことは否定できないところであり、少くとも控訴人病院の医療、看護に危惧の念を抱くことは容易に推認することができるから、被控訴人の右の行為は、控訴人病院の信用、名誉を汚損する不法なものというべきであって、しかも、前叙事実に徴すると、少くとも被控訴人の重大な過失によるものということができる。
しかしながら、本件ビラは、被控訴人が組合分会長として、看護婦の一人夜勤等労働条件の改善に関する団体交渉中、控訴人側から看護婦の一人夜勤について「危険な状態があったら具体的に示して貰いたい。」旨の発言に基づき、被控訴人がその後経験した分娩室における夜勤の実態を具体的に記載して団体交渉の申入れをしたが、右の問題を控訴人病院における他の従業員に訴えて、理解と組合運動についての支持を求めるため、右申入書記載の内容をそのまま転載し、これを従来と全く同じ方法で配付したものであり、また、本件論評は、被控訴人が雑誌「現代看護」の編集者から大坪久子らに対する控訴人の不当労働行為についての執筆依頼を受けたので、組合運動の一環として、右の問題を広く読者に訴えて、その理解と支持を求めようと考え、組合分会で討議してその承認を受け、控訴人病院における勤務及び右大坪に対する救済命令申立事件を通じて見聞した看護婦及び医師の研修制度の欠陥ないし問題点を指摘し、これとの関連において生じた不当労働行為を排除するため、組合分会がこれについて行ってきた交渉などについて記載し、投稿したものである。
そうすると、被控訴人の本件ビラの作成、無許可の配付及び本件論評の投稿は、控訴人の信用、名誉を汚損するものではあるが、その動機、目的、ビラの配付方法などを勘案すると、情状酌量すべき余地があるから、被控訴人に対し控訴人の就業規則第六一条但書を適用するのは格別、同条本文(同条第四号、第二四条第八号並びに第六一条第七号)を適用したのは、裁量権の行使を誤ったものと認めるのが相当である。従って、被控訴人の前示所為が懲戒解雇事由に該当するとしてした控訴人の本件解雇の意思表示は、被控訴人の主張について判断するまでもなく、その効力を生じないものというべきである。
よって、控訴人のこの点に関する抗弁は採用しない。
四 控訴人は、本件懲戒解雇の意思表示は普通解雇の意思表示として有効である旨主張するが、その失当であることは、原判決がその理由四において説示するところ(原判決八四枚目表一行目から同裏末行目まで。)と同一であるから、右説示を引用する。
五 そうすると、被控訴人のその余の主張について判断するまでもなく、被控訴人と控訴人との間の雇傭関係は昭和四四年一二月一六日以降依然継続しており、被控訴人は、現在においても控訴人病院における看護婦としての地位を有するものといわなければならない。
六 当裁判所も、被控訴人の本件仮処分申請中金員の支払いを求める部分については、原判決が主文第二項において認容した限度において認容すべきものと判断するが、その理由は、原判決がその理由五において説示するとおり(原判決八五枚目表一行目から同八七枚目裏四行目まで。)であるから、右説示を引用する。
七 そこで、昭和五〇年四月一日以降におけるベースアップによる賃上分、賞与、交通費等の仮払いを求める被控訴人の申請について判断する。
当審における被控訴本人の供述(第二回)によると、被控訴人は昭和五一年三月ころ従前居住していたアパートから肩書住居地(略)に転居したが、その居宅は被控訴人の夫ら三名共有の建物であって、一階は一〇畳一室、一〇畳の台所、二階は四畳半二室、六畳一室を有すること、被控訴人は夫婦、子二人のほか、弟及び母親(但し、静養、通院のため一年のうち半分位上京して同居する。)の六人家族であって、富士通株式会社に勤務する被控訴人の夫の給料は手取り一カ月金一六万円位であり、弟からは毎月金二万円家計に入れられている事実を、一応、肯認することができる。
そして、被控訴人は、原審において、控訴人に対する未払給与として金六〇〇万五、五五〇円及び昭和五〇年四月一日から本案判決確定に至るまで毎月二五日限り金九万八、七〇〇円の仮払い申請が認容れさ、その支払いを受けているのであるから、日常生活の点おにいて困窮しているものということはできない。
従って、原判決の認容した右部分を超える賃金等の支払いが存しなかったとしても、そのため被控訴人が著しい損害を被るおそれがあるものとは認められないし、また、そのような事実を認めるに足りる疎明もないから、仮の地位を定める仮処分として、その仮払いを命じなければならないほどの必要性があるものということはできない。
それゆえ、この点に関する被控訴人の右申請は、その余の点について判断するまでもなく、失当たるを免れない。
八 以上のとおり、原判決は相当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却し、本件附帯控訴によって拡張した仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 長久保武 裁判官 加藤一隆 裁判長裁判官岡本元夫は退官につき署名押印することができない。裁判官 長久保武)